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2023年12月07日 カテゴリ:家族・親族  コメント:(1)


520 :拝啓、鬼女様 2014/06/02(月) 15:15:23 ID:blsIHPTfK
修羅場かどうか分かんないけど
父親が本気で憎い
2023年11月29日 カテゴリ:ほっこり・ほのぼの  コメント:(1)


291 :拝啓、鬼女様 2017/12/18(月) 21:49:25 ID:4WLGos3H.net
還暦迎えた父が映画版スポンジボブをわざわざ自分で録画予約していたようで
何か茶の間でめちゃくちゃ真剣に観ててリアクションに困る('A`)

「シュールで面白いぞ、観てみろ」……スポンジボブ結構面白いな('A`)
2022年10月02日 カテゴリ:夫婦  コメント:(0)


241 :拝啓、鬼女様 2015/09/23(水) 11:48:06 ID:v8V
大学で出会って、なぜかビビッときて私から告白して付き合ってもらったのが付き合い始め。明るいけれども誠実な人柄にどんどん惹かれていきました。
旦那は私の2つ歳上で、私が大学を卒業して一年もするとお互いの生活もある程度安定が見えていたからそこで結婚しました。
ても結婚してひと月もすると、突然会社全体がとても忙しくなりました。私も六時出社で終電で帰る生活になり休みは日曜日だけ、その日曜日も疲れで昼頃まで寝て持ち帰った仕事をこなし、9時には寝るという生活。
また、お局様に目をつけられて、お局様とその取り巻きに目をつけられ色々と嫌がらせまでされていました。
そんな中で旦那だけが救いでした。稼ぎも明らかに旦那の方が多かったけど、早く帰ってるからとほとんどの家事は旦那がしてくれていたし、夕食も温めるものでなく、帰ってきてから作ってくれて食べる時間も合わせてくれました。次の日のお弁当やシャツの準備までやってもらえました。
仕事は好きでやってはいたものの本当に辛くて、旦那にいつも泣いて愚痴を言っていました。旦那も色々辛かったはずなのに、
「うんうん、本当にご苦労様」
と嫌な顔もせず聞いてもらえました。
とはいえ、夫婦らしいことなんて何一つ出来なかったです。旦那は結婚前から子供を望んでいましたがな、家に帰ってすぐに寝る生活だったので、夫婦生活すらもできませんでした。
2020年05月13日 カテゴリ:これはひどい  コメント:(0)


979 :拝啓、鬼女様 2020/04/23(木) 18:58:20 ID:Cva
私は三人姉妹の末っ子。女ばかりで父は寂しかったんだと思う。
父に私は「(私)の中身は男だもんな」と言われて育った。
「(私)は赤より青が好きだよな?スカートなんか嫌いだよな?野球やりたいよな?だって(私)の中身は男だもんな」という風に。
有無を言わさずそう言われ続けて、私は「そうなのかな?そうかもしれない」と思いこんで育った。
ベリーショートの髪は「私が望んだ」ことにされ、一人称は「オレ」以外似合わないと言われたからそれを使ってた。
お祭りに行った時、一番上の姉が「お父さんにナイショね」と言っておもちゃの指輪を買ってくれた。
ルビーっぽい赤い石がついた、いかにもおもちゃっぽい指輪だったけど、キラキラした物が初めて持てて嬉しくて
宝物にしていたけどある日父にばれて捨てられた。
なのに父は「私が女の子っぽいものをいやがって捨てた」と記憶を改竄し、母や姉にもそう説明した。
私は「自分で望んで男の子っぽくふるまってるんだ。私は青が好きでスカートが嫌いなんだ」と思っていた方が楽だったから、そう思いこんだ。
母は父の言うことを信じていて、私はボーイッシュなパパっ子で、パパに憧れていて野球大好きなんだと思っていた。
実際は野球やりたいなんて思ったことなかったし、誕生日やクリスマスのプレゼントが私だけいつもスポーツ用品でガッカリだったけど
そのうち「ガッカリだ」とも思わなくなった。あーはいはいって感じ。
でもそのそっけない反応がまた男の子っぽく見えたらしく、父は喜んで「男の子なんてあんなもんだ」とご機嫌だった。
でも中学になったら当然制服はスカート。
父は「(私)の中身は男なんだから何とかなりませんか?」と学校に問い合わせた。
学校が「それは性.同一性.障/害ということですか?」と返すと、父は「(私)が障/害者だと言うのか!」と怒った。恥ずかしかった。
結局私はスカートで通った。スカートは慣れてないから嫌で、そう父に言うと父は嬉しそうだった。
部活は剣道部に入った。ソフトボールは「女のやるもの」と父が決めつけたし、女子野球部はなかった。
中二のとき生理になった。母は「あらそう」って感じだったけど、姉は「お父さんには隠しなよ」と言ってくれた。
たぶん一番上の姉は、私より正確に事態を把握してた。
私はこの頃から「私は本当に“男っぽい”んだろうか?“中身は男”なんだろうか?」って疑問を持つようになった。
たぶん周囲から見たら、ただの痛い「俺女」だったと思う。
この頃から学校でだけ一人称に「私」を使うようにした。家では「オレ」のままにしておいた。
中三になって受験勉強を理由に部活をやめ、スポーツ全般から遠ざかった。
その頃、家から離れたくてたまらず、寮付きの高校を調べたら地元には高専しかなくて、相当成績がよくないと入れなかった。
でもタヒにものぐるいで勉強したらメキメキ成績が上がっていった。「家を出たい」がモチベーションの全てだった。
高専は男女比8:2くらいで、父はなぜか私が工学科に行くと決めつけて賛成した。
とくに否定せず勉強を続け、情報処理科を受けた。合格した。
合格祝いをした夜、父は酔って私に「男ばっかりの寮だから、ヤられないようにしろ。太腿をキュっと閉じておけ」と言って自分の言葉に爆笑した。
父に女扱いされるのもシモネタ?を言われるのも初めてで、驚いたし気持ちが悪かった。
その時初めて「あ、私この人が嫌いだ」と気づいた。
高専入学後はあまりに実家に帰らず、県外で就職した。
現在アラサー独身で、今は普通の地味喪女で、特に男っぽいということもない。
彼氏は今いないけど、過去に三人いたからこの歳なら平均だと思う。
でも正直言うと、未だに自分が本当は男っぽいのか女っぽいのか、何色が好きなのか、女より男が恋愛対象なのかそうでないのかわからない。
アイデンティティがない感じがする。好みがわからないから何でも「無難」を選んでる。
コロナ騒動のせいか久々に実家から連絡があって「GWは来ないで」って内容だったから、なんとなく思い出して文章にしてみた。
GWどころか盆正月もここ十年くらい帰ってないんだけどね。
修羅場ってほどじゃないし毒親と言うにも弱いけど、吐きだしてみたかった。
2020年04月28日 カテゴリ:  コメント:(0)


821 :拝啓、鬼女様 2010/01/24(日) 08:03:02 ID:0T1fQA7U
スーパーで子供蹴ってるの見たことある。低学年位の女の子を、赤ちゃんを抱っこした
お父さんが後ろから蹴ってた。蹴られた女の子は抱っこされてる赤ちゃんを叩いたりしてた。
母親は買い物に夢中で気が付いてないみたい。男親は女の子を凄くかわいがると思ってたので
驚いた。暫くして見かけたときはお父さんと女の子が腕を組んで歩いてた。
女の子が赤ちゃんに嫉妬してたのかなぁ。でもあの父親ひどすぎ。
2020年04月15日 カテゴリ:  コメント:(0)


162 :拝啓、鬼女様 2018/09/08(土) 16:24:32 .net
旦那が画鋲でかけてた額縁が、重みで落ちてガラスが粉々になってた…

私は地震が怖いからガラスとか飾るのイヤだし、せめて額縁専用のフックでかけてと言っても「大丈夫だって~w」と却下でこのザマ
もちろん自分では一切掃除もしない

こういう安全に関わる忠告やお願いをしょせん女の言うこととバカにして全然聞いてくれない・やらかした後始末は当然妻、みたいなのにほとほと疲れた
2020年03月21日 カテゴリ:仕事・職場  コメント:(0)


154 :拝啓、鬼女様 2012/11/22(木) 09:24:48 0
自分が高校生の頃両親が離婚。
理由は相当ともに忙しくてすれ違い。両親は遠い友達、みたいな
つかずはなれずの人間関係で、やりやすかった。
自分は母とともに暮らし、月1回ぐらい父と会っていた。
大学に入ってからはこちらがサークル活動とバイトに
忙しくなったこともあり年に一度、自分の誕生日前後に
会う程度となり、やがて就職。ここで壮絶ないじめにあった。
お局A子は自分だけをタゲり、周囲から孤立させた。
A子は人格障/害なんじゃないかと今思う。当時は周囲に理解も
されず、うつになり、やむなく退職。A子というストレス因子が
なくなって、無事復活でき、現会社に就職して、頑張っている。
父が再婚を決め、相手に会わせたいという。
会ってみたら、A子だった。A子も転職していたみたいで
自分をいじめていた頃の会社とは違う会社に勤めていた。
A子は自分に気づいたのかどうか、分からない。
全然表情に出なかったから。うわべだけの会話を取り繕って
食事して帰った。内心では「もう父とも会えない・・・。」と思ってた。
2020年03月16日 カテゴリ:修羅場・衝撃的  コメント:(2)


253 :拝啓、鬼女様 2016/11/04(金) 23:43:28 ID:PW3
父が脳出血で急逝した。
母のことが大好きな父だった。仕事の虫だったが、年に一度必ず家族旅行に連れていってくれた。
私たち兄妹の進路について真剣に相談に乗ってくれる、真面目な人だった。
後1年で退職することとなり、倒れる1ヶ月前の正月に家族で集まったとき、
「退職金は、母さんと二人きりの世界一周旅行に使うからな、お前らは期待するなよw」
と言いつつ、すでに一人立ちしている私たちにお年玉をくれるような人だった。
父の葬儀が終わるまでは気丈に振る舞っていた母だったが、49日法要が終わり納骨が済んだとたんに心労で倒れ、
しばらく兄夫婦の家で面倒を見てもらうことになった。
私は、父の遺産や遺品の整理を任されたため、休みの度に実家に帰り、家の整理を行っていた。
面倒なお金の処理が終わり、父の書斎を片付けていたときだった。
本棚の奥に、何か隠されていることに気がついた。
本を全て避けてみると、隠されていたのは古いA/Vだった。
古くさいVHSのパッケージが、10本以上。
あちゃーと思いつつ、あの真面目な父がねぇ、とおかしくもあった。
興味があり見てみると、全て同じ女優さんのA/V。そしてその女優、なんか見たことがある。
顔や体にある特徴にデジャブを感じる。
母だった。
それに気がついたとき、修羅場だった。
これは隠さねばならないと段ボールに積めて自分の家に持ち帰ってしまったが、その後どう処分しようか頭を悩ませた。
ネットで女優の名前を検索すると、当時は売れっ子の女優だったらしい。
画像検索したら若いときの母のネ果画像がずらーっと表示されて、orzとなった。
母は年のわりには若いし垢抜けているが、まさか過去にそんな仕事をしているなんて微塵にも感じなかった。
普通の、どこにでもいる主婦だったんだけどな。
ビデオを持っているってことは、父はもちろん知っていたんだろうけど…。
こんなこと誰にも相談できないし、母はまだ元気がなく聞けるような状況じゃない。
ほんと、たまにうわーって叫びたくなる。
あと、喪があける来春から婚約者と同棲するために引っ越すのだが、それまでにビデオをなんとかしなくてはならず、それも修羅場です。
2020年02月01日 カテゴリ:  コメント:(0)


951 :拝啓、鬼女様 2019/11/23(土) 00:05:02 ID:OW.ud.L1
それまでずっと父だと思ってた人が実は叔父だった

ずっと父子家庭で育ってきて結婚式の間際になったある日、旦那と一緒に父からいきなり告げられた
私は本当は父の弟の子供で、実父と母は一緒の交通事故で亡くなったらしい
毎年命日にお参りに行ってた母のお墓に実父も一緒に入ってた
実父と母は駆け落ちみたいにして結婚したから母の実家からはもういない扱いになってて引き取りは嫌がられて、
父の両親もそのとき既に亡くなってたから父が引き取ってくれたんだって
「いつ言おうか迷ってるうちにこんな遅くなってしまった。ごめんなさい」って謝られたけど旦那は泣いてたし、
私も授業参観や運動会には必ず来てくれて、出世も自分の結婚の機会も蹴って私を育ててくれた父には感謝しかない
ただ最後の「あの時お前の親類の態度に腹がたったのと、実はお前のお母さんすごく俺のタイプだったもんだからつい俺が引き取るって言ってしまった」というのはちょっと聞きたくなかったかもしれない
ちなみに私の結婚後父はいそいそとプレステ4とニンテンドースイッチを買ってきて、テーブルに旅行ツアーのパンフレットを広げてどこへ遊びに行こうかとうなっていた
2020年01月15日 カテゴリ:家族・親族  コメント:(0)


506 :拝啓、鬼女様 2010/03/15(月) 17:47:27 ID:9iNPt3EO
父が生きていた頃の事で強烈に覚えている出来事を。

父は強烈な昭和気質を超えた大正気質で、滅多に笑顔すら見せない人だった。
お正月にテレビ見ていて父が「ふっ」と笑おうもんなら、
我が家には一年幸せな事が起きると云うジンクス迄出来ていた程だ。

そして、隣の家では犬を飼っていた。雀が餌皿に群がっていてもそれを静かに見守る
優しい、けれど到底番犬には向かない可愛い犬だった。
その犬がある日、とても嬉しそうな声を出していてふと気になった私は犬小屋を見る事の出来る裏口を開けてみた。
すると、そこには
「お前は毎日毎日うるさい!」
と言いながら犬を撫でまくる父の姿が・・・。犬も尻尾を振り千切れんばかりに振って、全身で初めて会う
父への愛情を示していた。

何とも言えずに黙ってそっと裏口の戸を閉めた私だが、今になって思うとその気持ちが「父に萌え」と云う奴だったのかも
知れない。

父の命日を迎えて、長くなってしまいました。ごめん。

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