カテゴリ: 子供の記事一覧
2019年02月17日 カテゴリ:子供  コメント:(0)


521 :拝啓、鬼女様 2016/01/04(月) 22:06:38 ID:Arq
小さい頃、今では大分マシにはなったものの、自分は喘息を患っていて夜中に病院に連れて行かれる事も多かった。
よく発作を起こすもんで、行きつけの小児科でガラス製の吸引器で吸引させられてた。
ある日、その日は発作は出てはいないものの、日課となった吸引のために病院に行っていたんだが、
その時は病院が混んでいたみたいで、T字路状の廊下の突き当たりに置いてある長椅子に母親と一緒に座って待っていた。

左手には受付、正面の通路の先には処置室、右手には5メートル先に両開きの鉄の扉があって、
その扉の前に、細いステンレス製の支柱に黒いプラスチックの板が付けられた看板が立っていた。
(その看板のプラ板の部分には紙が貼ってあって、立ち入り禁止的な事が書いてあったと思う)

しばらく長椅子に座って待っていたんだが、何となーく右手を見てみると、んっ?と思った。
なんとその看板が燃えていた。
普通なら建物の中で物が燃えているならそれだけで大騒ぎになるし、まだ誰も気づいていないにしても、
テレビの16Vぐらいの大きさの板が燃えていれば、異臭なり大量の煙が発生して、誰かが異常に気付くはずだ。

しかし、誰かが駆けつけてくる気配はないし、そもそもそのT字路の廊下はそこそこ看護婦が通ったりするのに、
誰も異変に気付いていない様子で、それどころか隣に座っている母親すら、その炎に気づいていないみたいだった。
そのT字路を歩けば必ず看板は視界に入るような場所に置いてあるのに、誰も炎の事を気にも留めていなかった。

このまま放置していれば火が燃え移り、取り返しのつかない事になるのではないのか、と思ったが、何かがおかしい。
その炎から煙が出ていない。それどころかパチパチと燃える音すら聞こえない。
看板の板をまるまる包み込む程の大きさの炎なのに、周辺の壁が焦げてすらいない。
2019年02月07日 カテゴリ:トラブル  コメント:(1)


152 :拝啓、鬼女様 2016/10/24(月) 18:16:42 ID:Ygy
中学生の頃、歩道を歩いていたら後ろの方から自転車のベルの音が聞こえた
(小学校の時に「歩道で歩行者をどかすためにベルを鳴らすのは法律違反」って習ったし、きっと私に向かって鳴らされたベルじゃないだろうな)
と思って特に気にせずそのまま歩いていた
当時の私は純朴な女子中学生だったので、大人はみんなルールを守る生き物だと思っていた
すると後ろから追突された。その瞬間は追突されたとは理解できなかったけど、前輪にふくらはぎを傷付けられて鋭い痛みが走った時に、自転車にぶつけられたことにやっと気付いた
自転車に乗っていたのは50代ぐらいのおじさんだった
「さっさとどけやブス」
と小声で言われた
他人に容姿を罵られたのなんて初めてだったし、そもそも急な事態すぎて理解が追い付かず、涙をボロボロ流しながら蹲ってしまった
とにかく恐怖と混乱で頭がグルグルして顔が熱くなって、膝の擦り傷も物凄く傷んで、なかなか立ち上がれなかった
体感的には一時間ぐらい蹲っていたような気がするけど、実際はそんなに時間は経っていなかったらしい
気が付いた時には近所のおばさんに優しく抱き締められていた
前の方を見るとおじさんは男子高校生に取り押さえられていた
おばさんの着ていた厚手のコートの柔らかさになんだかホッとしてしまって、そのままおばさんの胸元に倒れ込んでしまった
その後はサラリーマンが警察を呼ぼうとして下さっていたけど、私とおばさんと男子高校生が目を離した隙におじさんは自転車に飛び乗って逃げてしまった
私が「擦り傷だけなので大丈夫です。助けて下さってありがとうございます」と言うと、サラリーマンは私の頭を撫でてくれた
男子高校生がコンビニで絆創膏を買ってきて下さり、おばさんが家まで送って下さった
他の人から見たら大したことない話だろうけど私の人生の中では一番の修羅場
2019年02月05日 カテゴリ:子供  コメント:(0)


208 :拝啓、鬼女様 2016/11/02(水) 23:58:01 ID:Lqm
私は生まれてからしばらく、ひどい喘息で体が弱かった
まだ言葉も話せなかった頃から、熱に浮かされ咳が止まらず、苦しくて泣いていた記憶がある
私が3歳になったころ、母が妊娠してお腹がとても大きくなっていた
そして8月の暑い日、母と私と買い物して帰っていた
私はご機嫌でスキップして、母と手を繋いで歩いてた
いつも降りている長い階段につき、母を見上げたら、次の瞬間が隣をふっとんだ
母は私の手を離して、階段で転げ落ちてお腹の赤ちゃんが亡くなった
私は声も出ず呆然とした
感情がついていかなかったのを鮮明に覚えてる
偶然その場に近所に住む3歳年上の女の子、たーちゃんがいて、たーちゃんがその時のできごとを見ていたと証言した
たーちゃんは「あの子(私)がおばさん(母)を落とした」と話した
母は意識不明で生タヒを彷徨い、周りは病弱で親に甘えてばかりの私が弟か妹に嫉妬して突き落としたんだと考えた
私は周りから「お母さんを押したの?」と聞かれ、最初は解らないと答えていたけど、きつい口調で何度も何度も聞かれて、私が母をおして杀殳したんだと確信した
母は三ヶ月ほどして目を覚ましたけど、意識は戻らなかった
話しかけたら目を開く
動くものを目で追う
音がした方に反応する
そんな基本的な反応はするけど、喋ることも、ましてや私を認識することもできなかった
そのまま半年が過ぎ、一年が経過し、二年が経過し、三年目で母が目覚めたと聞いた
聞いたというのは、私が母を突き落としたことで今で言うサイコパスというのか、そんな扱いを受けて、子供の情緒を育てる的な特殊な病院に行っていて、母に会わせてもらえなかった
動かない母を杀殳すのは簡単だから私が母を杀殳すことを懸念されたのかもしれないし、母に会わせてショックを受けさせるのを防ぐためだったのかもしれない
今となってはわからないけど、母とは意識が戻ったあともすぐには会えなかった
手紙を書くことは許されたので、病院で色紙にクレヨンで手紙を書いた
おかあさんごめんなさい
おしてごめんなさい
とごめんなさいばかりを書いた手紙だった
そうして時が過ぎ、私の小学校入学が目前となり、普通の小学校は無理なんじゃないかと大人たちが話していた頃に車椅子に乗ってガリガリになった母が訪ねてきた
母は私のことを見てワンワン泣いた
何度も何度も無事で良かったとつぶやいた

大きくなってから聞いたんだけど、母を突き落としたのは近所のたーちゃんだった
母は誰かに後ろから押され、咄嗟の判断で私の手を離したらしい
転がって落ちる過程で全てがスローモーションで見て、たーちゃんが手を突き出した状態で立っていたこと
そのまま私の後ろに立ったので私まで突き落とされると思ったことを話してくれた
たーちゃんは私が遠くに行ってから、家のハムスターを杀殳したりして問題行動を繰り返していたことを父から聞いた
母の意識が戻ってからたーちゃんと話す機会を作ってたらしく、なんで押したのか聞いたら「押して転んだら中から何が出てくるのかなと思った」と言われた
私が普通の学校に行ったのと入れ違いでたーちゃんが病院にかかるようになったらしい
たーちゃんの親たちは私達親子を恨んでいて、一時期すごく嫌がらせをされた
私はその時まだたーちゃんのことを知らなかったから、人を杀殳した私が天罰を受けてるんだと思って修羅場だった
母もまさか私が母を落としたと思い込んでるなんて思わなくて、知ったときは言葉通り絶句して声もなく泣いた
2019年01月15日 カテゴリ:これはひどい  コメント:(0)


149 :拝啓、鬼女様 2016/06/04(土) 11:39:05 ID:KIv+3aGD.net
北海道の件みて思い出したけど、うちも弟があんな感じだったなー

何を言っても「へへーん」「べー」って感じで全然言うこと聞かない弟
ある休日、県を超えて遊びに行った帰りの車内で剣玉を始めた。
そりゃもう窓やドアにガッツンガッツンぶつける。
狭い車内なので、私も自分が怪我をしたら嫌だから
「危ないからやめて!」って言ったし
親も「ぶつけるからやめなさい」「家まで我慢しなさい」
「いい加減にしないと車から降ろすよ!車は遊ぶ場所じゃない!」って怒ってた。

荷物チェックしてそういうオモチャ抜ければいいんだけど
弟も親の目を盗んで、自分の好きなオモチャをカバンに入れるんだよね…

最終的に、窓にぶつけたときに親の逆鱗に触れて
その時渋滞避けで走っていた、県境の山の中の旧道で弟を下ろした。
父はさすがに止めてたけど、母は人の指図でより腹がたつ人なので意味もなく。
当時私は小学校中学年、その弟は幼稚園。
車を追いかけて転んで泣く弟を見えなくなるまで見送りつつ、10分で帰宅。

私たち他の子どもを下ろして、すぐに両親が弟を探しに戻ったんだけど
弟が見つからなくて警察に通報することになった。
三時間ぐらいして、弟が歩いて帰ってきた時は家族全員で泣いた。

もう20年以上昔の話なので
しつけの範囲だと思われてたし、親も弟も警察には軽く注意されてただけだったな。
2019年01月04日 カテゴリ:姑・義親族  コメント:(0)


681 :拝啓、鬼女様 2018/09/28(金) 16:44:58 0.net
義兄嫁が大阪西成区の育ちで義実家も大阪の商業区
義兄子が夏休みに田舎に行きたいとゴネたそう
友達が田舎のじーちゃんばーちゃんの家で星を見たりクワガタ採ったりしたらしい
ゴネられた義兄嫁が私さんのいなか=実家に連れてってとおしつけに来た
うちの実家は郊外だがそこまで田舎じゃないんだが・・・
だいたい私実家と義兄子は関係ないじゃん、と図々しさに呆然としていたら
うちの旦那が「嫁子実家より西成のほうがワイルドだよ、野生のおっさんが徘徊してる」と言った
何かがクリーンヒットしたようで義兄嫁が泣き騒ぎながら帰っていった
義兄嫁のほうが野生みたいだった・・・
2018年12月02日 カテゴリ:家事・育児  コメント:(0)


334 :拝啓、鬼女様 2018/10/09(火) 23:52:54 ID:n6+LmXvs0.net
うちは膵臓癌で告知された時なステージⅣa
ギリギリ手術出来て副作用もなく治ることを確信した時期もあったけど、抗がん剤治療が始まったらみるみる衰弱して、白血球が足りなくて抗がん剤の間隔があいてしまったのであっという間に旅立ちました。

その時子供は中学生と小学生。
裁縫も料理も出来なかったけど、血だらけになりながら雑巾縫ったり、体操服にゼッケン付けました。
母親も早くに亡くしてたので頼る人も居なくて、
自分の時間はすべて子供、家事、仕事に費やして
睡眠時間も4時間程度で10年近く過ごしてます。

うちの地区は中学まで給食があったのが救いでしたが、
高校からは弁当作りが始まって、周りに甘いと嫌味を言われても、補習、部活、交友を犠牲にさせたくなくて
子供達が手伝おうすれば勉強しろ、遊びに行けって自由にさせてきました。
一番キツかったのが、どんな理由があっても風邪を引いてはいけない。怪我をしてはいけない。自分がタヒんではいけない。を自らに課した10年は地獄でした。

お陰で子供達は道を踏み外すこと無く無事に大学を卒業して就職も出来ました。

今は解放されたせいか、横になると家事も忘れて一瞬で熟睡しちゃいますが、未だ同居の子供達が文句も言わずに片付けしてくれます。
誕生日になるとサプライズで旅行に連れて行ってくれます。
お父さんには感謝の言葉じゃ足りないと言われて、生活費は稼ぐから仕事辞めて自由に生きて良いよってまで言われると涙が止まりません。

かなり無理をしてきたので、さほど長生きは出来ないかもしれないけど、子供に負担はかけたくないから
早く独立しろ!って憎まれ口を叩いてますが
子供達が出て行く日は、嫁が亡くなった日よりも泣くかもしれません。
2018年11月18日 カテゴリ:姑・義親族  コメント:(0)


264 :拝啓、鬼女様 2018/06/14(木) 09:55:49 0.net
今月生まれた義弟子の名前が実家のペットと同じだった
それを知った義弟嫁が「犬なんて杀殳してしまえばいい」だってさ
お前が○ね
2018年11月18日 カテゴリ:姑・義親族  コメント:(0)


199 :拝啓、鬼女様 2005/02/08(火) 01:20:36
結婚して24年、それはそれは我慢の日々でした。
21で何も知らずに結婚して
私ったら、口はうまくないし、要領悪いし
家のことなんもできんかったし、
そりゃ、姑にとっては格好の餌食だったんでしょう。
舅がタヒんでいないから、息子(ダンナね)しか頼れない。
まあ、褒めてあげたいくらい裏表の使いわけが上手でした。
私と二人の時は罵詈雑言投げつけて、あたかも奴隷のように扱われましたさ。
私は私で、何も出来ない自分に自信がない上、日々言葉の暴力を浴び、
さらに自信をなくし・・・ここの皆さまにあきれられるほどのへたれ状態。
でも、ダンナがいるとそれはそれは優しいお母様。
ダンナが私のことちょっとでも怒ろうもんなら
「何えらそうに言ってるの。嫁子ちゃんはわるくない!」って
かばってまでくれて。
そんな状態だから、私がいくらダンナに姑のことを訴えても
ハナから信じてもらえなかった。
私の実家にもそういう風だったから
愚痴たれようもんなら反対に叱られる始末。
まさに四面楚歌。
離婚も考えたけど、息子の顔見ると勇気もくじけて・・・。
ただひたすらバカになって我慢して・・・
まあ、それで軽い鬱状態にはなったけど
そこまでのもんだったってことは私もけっこうずぶとかったかもね。
後半に続く・・・
2018年11月14日 カテゴリ:怒り・ムカ  コメント:(0)


861 :拝啓、鬼女様 2016/04/12(火) 23:45:31 ID:FEf
保育園開園中止、うちから遠くないw
あそこは無いわ
「うるさいから」みたいなのを
反対理由の見出しにするマスゴミの黒さよ
子持ちじゃないからわからないとかコメントするの見かけるけど
その子持ちですら反対するほど道狭いんだよなー
あんなところに保育園作るより
南口にあるガラガラのパチ〇コ屋潰してそっちにすればいいのに
2018年11月08日 カテゴリ:子供  コメント:(0)


782 :拝啓、鬼女様 2015/08/01(土) 09:51:46 .net
3歳小餅。
年明けから誘われていた、盆時期の地元(関西)の同窓会。
嫁は快く行ってらっしゃいと言ってくれていた。

7月頭に、嫁の妊娠が判明→切迫流産で仕事を休みがち、今月から恐らく傷病休暇に入る。
嫁の負担を考えて、同窓会には子供を連れて行くことにした。(自分の実家で数時間見てもらう)
それを伝えたら、嫁激怒。
「あなたのいない2日間に大量出血や、また(過去に1回あり)流産でもしたら、あなたを一生恨むことになる。この状況でよく同窓会に行くなんて言えるわね。」
同窓会はキャンセルするのはいいが、言い方が腹立つ。
一泊二日の出張と変わらんだろ、と俺が言うと、逆ギレ。
「出張と余暇旅行(同窓会)は違うでしょう!」と。
しまいには、「第2子が産まれても、きっと私達を放って一人で遊びに行くのが見え見えだわ」と嫌味。

なんで俺が悪いことになってんだ?