タグ:実父の記事一覧
2023年10月24日 カテゴリ:修羅場・衝撃的  コメント:(0)


98 :拝啓、鬼女様 2018/05/29(火) 10:41:31 ID:j+9xSbwV.net
幼い頃に別れた父が実父ではなかったと教えられたけど、実は実父だと判った。

母親は産後の肥立ちが悪く、長期の入院生活の末に亡くなった。
以降、学齢前迄実父に育てられた。
私は伯父の養子になり、養育は叔母にして貰った。実父にも叔母にも可愛がられた。

叔母には、父が海外で仕事することになり連れて行くのが困難だったこと。
その少し前に私が交通事故に遭ってたこともあり、シスコンの叔母が、私と逢えなくなるのを嫌がった事。
私の将来の手続きや、叔母の将来(結婚)を考えた伯父の発案で伯父の養子になり養育は叔母。
と言う形になったと説明されてた。

成人して暫く立った頃に、叔母に会って欲しい人がいる。と言われた。叔母と私と揃ってその人と会った。伯父と伯父の知り合いの弁護士も一緒だった
相手は実父再婚相手だった。実父は海外に行って暫くして会社を興し、再婚してたそうだ。
奥さんは、古い書類を持参してた。私と実父の親子関係を否定する遺伝子鑑定書だった。

そして、色々教えられた。私が事故に遭ったとき、腑に落ちないことがあって実父が遺伝子検査をした。
結果を知った実父や実父父母は、私の養育を拒否。
話し合いの末に私は伯父の養女になり、叔母に育てられてたらしい。
弁護士さんはその時にお世話になった人で、両家の取り決めなどを色々説明された。
伯父は難しい顔をしていて、叔母には、欺していたことを謝罪された。

奥さんがわざわざ来たのは、私に遺伝子検査をして欲しい。と言うことだった。
実父は、奥さんとの間にできた子供の遺伝子検査をして、親子関係が否定されたと言って離婚を求めたそうだ。
奥さんに身に覚えはなく、頼ることにしたのが私の存在。
私と自分の子供達の検査をしたい。と言うことだった
実父の遺伝子に異常があり、正常な鑑定ができないのでは無いか。と言う疑いを持ったそうだ。
検査し直してくれと懇願したけど、実父を怒らせるだけの結果になったらしい。
2018年06月15日 カテゴリ:家族・親族  コメント:(0)



302:名無しさん@おーぷん[]2015/08/22(土)13:37:11 ID:7YU [1/4回]
俺は実父と暮らした記憶がない。
物心ついたとき、すでに父は叔母と一緒に住んでいた。叔母は父の実妹。
我が家に叔母があまりにも入り浸るので、母が父に苦言を呈したら
父が出て行って、叔母と住むようになったという経緯。

夫婦は何年か以上一緒に住んでいないと離婚理由として認められるらしく
俺が高校生のとき両親は離婚した。
月日が経ち、俺は成人し就職した。
就職した途端、
それまで電話一本寄越さなかった父がやたら接触してくるようになった。

どうも「成人した=一人前の男=男同士わかりあえるはず」
という思い込みがあるらしい。
しかし血のつながった実父とはいえ
一度も一緒に暮らした記憶のない相手で、他人としか思えない。

父は今も叔母と住んでいるし、血族かもしれないが家族ではない。
先日父に「稼いで妻子を養ってさえいれば、父親の役目は果たせると思ってたよ…俺の考えは古いんだな、フッ」と言われたが
妻子を養うも何も、生活費も学費も出してくれたのは母だし
そういう問題ではないと思う。
「男同士飲もう」と頻繁に誘ってくるのがうざくてたまらない。


2018年02月20日 カテゴリ:これはひどい  コメント:(0)
91:1/22008/02/14(木) 14:16:37
スカかどうか微妙ですが、自分的に頑張ったので
聞いてもらってもいいですか?

昨年11月に、実父が長患いの末になくなりました。
私たち夫婦は都内在住、ウトメは東北在住。
私の実家は関西で、葬儀も関西でした。

遠方ですから参列は結構です、というのを無視して
通夜にも葬式にも登場したウトメ。
ウトは空気のように無口で人畜無害だけど、
トメはホントに底意地の悪い糞ババァで、私はホントに嫌いでした。

トメは、通夜の夜の不寝番をしてくれることになっていた私の夫に
「今夜は久しぶりに親子水入らずで一緒に寝ましょうよ」と誘ったり、
棺桶の中の仏様(実父のなき骸)の写真を取ったり、
葬儀屋さんに「この祭壇いくらですか?」とか聞いたりやりたい放題。
2017年04月06日 カテゴリ:質問  コメント:(0)
849: 名無しさん@HOME 2016/10/21(金) 00:49:09.89 0
男性が女性に暴力を振るうのに正当な理由ってあると思いますか? 
私はあるわけないと思う。 

義父が実父の話を振ってきたから、とても軽く愚痴ると私の意見にかなり否定的。

本当にどうしようもない人間のクズな父親で母への暴力もあった事を話すと、
それは暴力を振るわれる程の事をお母さんもしたんじゃない?だって。 
実父が酷かっただけに、
穏やかで尊敬出来る義父の事は好きだったのに残念でたまらない。
2017年03月17日 カテゴリ:衝撃的な話  コメント:(0)

765 :名無しさん@おーぷん
まだ20代前半の頃のはなし

私は上京して一人暮らしをしていた。
そこへ幼馴染のA子がアポなしでやってきた。
久しぶりに会うA子にすごくビックリした。結婚してA子も東京にいるのは知ってた。
まだ携帯もネットも普及していない時代だったから、年賀状で近況を知らせ合うのが当たり前。
A子の顔は痣だらけで、こんな言葉は当時はなかったけど、DVだと察しはついた。
話をきくと、A旦那は賭け事で借金がかさみ、A子に風イ谷へ行くように命じた。
A子拒否。怒り狂った夫に暴力で脅され、監禁されたけれど夫の目を盗んで着の身着のまま逃げ出してきた。
年末の寒い中、薄っぺらな上着を脱いだA子はほつれてポロポロのセーターに膝の抜けたジーンズ
穴の開いたよれよれのスニーカー、靴下も履いてなかった。
手にしているのは私の年賀状だけ、お金がなくて半日歩いてやって来たそう。
庇ってやろうにも、生活の面倒見てあげるほど私もお金を持ってない。
年賀状等もすでに何通か送っているので、私の住所がばれるのも時間の問題。
私の母が義父にDVを受けていたのに警察が何もしてくれなかったし
都会の警察は違うかもしれないけれど、警察に呼び出された義父が帰宅してから
母にさらに暴力を振るっていたのも見ていたので、警察もダメだと思った。
私も東京に知り合いがいるわけでもなく、同僚とはこんな修羅場に巻き込む程親しくない。
A子にしても、助けてくれる知り合いがいるなら私のところになんか来ない。
とりあえずA子を風呂に入れて私の服を着せて、二人で途方に暮れていた。
A子はいくらかお金を貸してほしい、きっと返すから、と言って泣いた。現実的にそれしかない気もした。
その時、ピンポンが鳴った。
私たちはドキドキして顔を見合わせ、私は玄関にまさに忍び足で向かい、ドアスコープで外を見た。
玄関の前にいた男と目があった。
ビックリして飛びのき、声が漏れないように手で覆って部屋に戻った。
私は無言のままA子の手を握って、首を振った。
私はめまぐるしく考えた。逃げなきゃ、と思った。アパートは二階だし、でもベランダからどうにか…
とベランダのある寝室に使っている部屋の方を見た時、心底驚いた。
心臓が一瞬止まって血の気が引いて、次に顔がかーっと熱くなった。
閉めてあったふすまが開いていて、男が二人立ってた。
男たちがニヤリとして、一人が玄関に向かった。
玄関の開く音がして、男たちが数人、入ってきた。
妙なもんで、ああ、土足のままだよ、なんて思った。

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