タグ:病気の記事一覧
232: 名無しさん@家庭ちゃんねる 2015/01/15(木) 15:52:21
横入り失礼します
冬の海に入水したジサツ未遂者です
酒が止められない。
四歳から酒を飲まされてた女です。
旦那は酒が飲めないタイプです。
飲めない奴に 酒を飲む奴はろくでなし と言われても、
そもそもお前飲めねぇだけじゃんと思っちゃいます
断酒してるふりをしてあちこちにアルコールを隠してる
アルコールが適度に入っているから
人生がうまくいっている
アルコールが入ってない自分は何もできない何も感じない
止める必要なんか全く自分は感じてないけど
これから旦那に隠し続けるのが面倒です
飲める奴が断酒して、飲む奴は駄目だって言ってるならいいけどさ
飲めない奴からしたらやっかみでしかなくない?
むかつくから焼酎一瓶空けてやった
冬の海に飛び込むってタヒにたかったんだ
レスキュー隊に謝りたい
助けてくれなくてよかったけど助けてくれる必タヒな姿見て
ごめんなさいって言い続けた
こんなろくでない主婦を必タヒに助けてくれるのが
しごとだとしても凄いことだ
服は薄着だったからあまり沈ますになんとかなった
コート着てたらタヒんでたそうだ
誰か同じような人いない?
アルコール依存症なのか考えるけどなんか違う気がするんだよ
冬の海に入水したジサツ未遂者です
酒が止められない。
四歳から酒を飲まされてた女です。
旦那は酒が飲めないタイプです。
飲めない奴に 酒を飲む奴はろくでなし と言われても、
そもそもお前飲めねぇだけじゃんと思っちゃいます
断酒してるふりをしてあちこちにアルコールを隠してる
アルコールが適度に入っているから
人生がうまくいっている
アルコールが入ってない自分は何もできない何も感じない
止める必要なんか全く自分は感じてないけど
これから旦那に隠し続けるのが面倒です
飲める奴が断酒して、飲む奴は駄目だって言ってるならいいけどさ
飲めない奴からしたらやっかみでしかなくない?
むかつくから焼酎一瓶空けてやった
冬の海に飛び込むってタヒにたかったんだ
レスキュー隊に謝りたい
助けてくれなくてよかったけど助けてくれる必タヒな姿見て
ごめんなさいって言い続けた
こんなろくでない主婦を必タヒに助けてくれるのが
しごとだとしても凄いことだ
服は薄着だったからあまり沈ますになんとかなった
コート着てたらタヒんでたそうだ
誰か同じような人いない?
アルコール依存症なのか考えるけどなんか違う気がするんだよ

290: 名無し@話し合い中 2006/09/16(土) 11:11:01
俺は20歳から25歳まで付き合った彼女がど真ん中だった。
「そろそろ結婚するか?」そんな話になり
具体的な両家への挨拶の日取りとかも決めていた。
が、彼女は突然居なくなった。
彼女の両親は、俺の名前を知っており、線香をあげる事を喜んでくれた。
そして、3年目の花を手向けていた時に
彼女の母に
「あなたも若いのだから何時までも縛られては駄目、
あなたは幸せになりなさい。それがあの子の望みでもある筈」
彼女の父に
「もう此処には来なくても良い。忘れないで居てくれれば」
「正直、君が来る事で我々家族も苦しい」
それ以降、彼女の家には行けなくなった。
ただ、寺には行っていた。
その後、事情を知る会社の後輩の女の子が
「そろそろ結婚するか?」そんな話になり
具体的な両家への挨拶の日取りとかも決めていた。
が、彼女は突然居なくなった。
彼女の両親は、俺の名前を知っており、線香をあげる事を喜んでくれた。
そして、3年目の花を手向けていた時に
彼女の母に
「あなたも若いのだから何時までも縛られては駄目、
あなたは幸せになりなさい。それがあの子の望みでもある筈」
彼女の父に
「もう此処には来なくても良い。忘れないで居てくれれば」
「正直、君が来る事で我々家族も苦しい」
それ以降、彼女の家には行けなくなった。
ただ、寺には行っていた。
その後、事情を知る会社の後輩の女の子が

733: 名無しさん@HOME 2015/02/10(火) 12:58:23.91 0
2年前の話ですが・・・
近場で別居をしてる医者の兄が実家に帰ってきて、久々に家族団らんで夕食をしてた。
ひさびさに家族がそろって楽しくすごしてたんだけど、気が付いたら母の口数が少なくなっている。
よく見ると、さっきまでニコニコしてた母が真顔になってて、冬なのに汗をかいている。
どうしたのか聞いて見ると「なんか胸のあたりが痛くって…でも大丈夫」
兄がすぐさま「母さん、どの辺が痛いの?」「どういう痛み?」「ちょっと手握るからね」とここまでやってすぐに救急車を呼んだ。
待っていたら危ないからと兄が主導して、時間短縮のため、我が家の車→救急車のリレー方式で搬送。
普段はものすごくのんびり屋の兄が、今まで見たこともない俊敏さを発揮していたので、
私と父も「これはただ事ではない」と車を出したり母の体を支えたり手伝った。
結果、心筋梗塞でした。
対処が早かったおかげで、症状の重さの割には後遺症が「奇跡的」と言えるレベルでなかったそうで、
すぐに救急車を呼んだのも、救急車を待たずにリレー方式にしたのも正解だったそうです。
母はすぐにリハビリすら必要ない状態にまで回復し退院、今でも元気にしてます。
家族でまったりしている幸せな時間がいきなり生きるタヒぬの修羅場になったのは本当に衝撃でした。
もし偶然兄が帰ってきていなかったら、ここまで適切な対応ができなかっただろうなと思うと今でも怖い。
近場で別居をしてる医者の兄が実家に帰ってきて、久々に家族団らんで夕食をしてた。
ひさびさに家族がそろって楽しくすごしてたんだけど、気が付いたら母の口数が少なくなっている。
よく見ると、さっきまでニコニコしてた母が真顔になってて、冬なのに汗をかいている。
どうしたのか聞いて見ると「なんか胸のあたりが痛くって…でも大丈夫」
兄がすぐさま「母さん、どの辺が痛いの?」「どういう痛み?」「ちょっと手握るからね」とここまでやってすぐに救急車を呼んだ。
待っていたら危ないからと兄が主導して、時間短縮のため、我が家の車→救急車のリレー方式で搬送。
普段はものすごくのんびり屋の兄が、今まで見たこともない俊敏さを発揮していたので、
私と父も「これはただ事ではない」と車を出したり母の体を支えたり手伝った。
結果、心筋梗塞でした。
対処が早かったおかげで、症状の重さの割には後遺症が「奇跡的」と言えるレベルでなかったそうで、
すぐに救急車を呼んだのも、救急車を待たずにリレー方式にしたのも正解だったそうです。
母はすぐにリハビリすら必要ない状態にまで回復し退院、今でも元気にしてます。
家族でまったりしている幸せな時間がいきなり生きるタヒぬの修羅場になったのは本当に衝撃でした。
もし偶然兄が帰ってきていなかったら、ここまで適切な対応ができなかっただろうなと思うと今でも怖い。

女の子が生誕。そう天使ちゃんが生誕。自閉症のあるダウン症最悪。
問い詰めたい気分。でも生まれちゃったからには、頑張って育てなきゃいけないのに
「もう年だからきつい。めまいがする。」と子育て丸投げしようとスンナ。
三兄弟は子供のころから犠牲になったから、義長兄は大卒後音信不通。
義次兄は高卒後アメリカ留学後音信不通。
最後に残った私の旦那はひどい目にあってます。トメ今七十代でウトタヒ亡。
コトメは三十でぶくぶく太って特有の顔立ちでパニックの他害あり。
施設にいれろと旦那が言うが、ウトメがべったり甘やかしたコトメは
乱暴で施設職員に怪我をさせたこともあるので、なかなか決まらない。
今なんとか頼み込んで探してもらってます。

676 : sage 2015/07/03(金)13:44:50 ID:Kgx
あああ~なんかもう人生疲れたな。
仕事忙しくて免疫力落ちてたのかカンジダにかかった。
婦人科行って、もらった薬飲んでたら旦那が何の薬?って聞くから、カンジダっていう…って言いかけたらイス蹴り飛ばされてこけた。
肘打って痛い。
カンジダが性病だと思ってるらしく、俺が帰ってくる前に消えろクソ女!って罵られた。
馬鹿なの?暴カは振るわれたことないから怖くてたまらん。
違う、性病じゃないって言っても聞く耳もたず、見苦しい言い訳すんな!って恫喝して仕事行った。
webページのURLをメールに貼って送ったけど返信ない
もちろん浮気なんかしてない。というか仕事忙しくてそんな暇ない。
在宅だから専業みたいに思われてるふしがあるけど、家事全部私だし、
旦那もそんなに稼ぎがいいわけじゃないから私の稼ぎもがっつり家計費とか家計用貯蓄なんだけどな。
もう嫌になってきた。
仕事忙しくて免疫力落ちてたのかカンジダにかかった。
婦人科行って、もらった薬飲んでたら旦那が何の薬?って聞くから、カンジダっていう…って言いかけたらイス蹴り飛ばされてこけた。
肘打って痛い。
カンジダが性病だと思ってるらしく、俺が帰ってくる前に消えろクソ女!って罵られた。
馬鹿なの?暴カは振るわれたことないから怖くてたまらん。
違う、性病じゃないって言っても聞く耳もたず、見苦しい言い訳すんな!って恫喝して仕事行った。
webページのURLをメールに貼って送ったけど返信ない
もちろん浮気なんかしてない。というか仕事忙しくてそんな暇ない。
在宅だから専業みたいに思われてるふしがあるけど、家事全部私だし、
旦那もそんなに稼ぎがいいわけじゃないから私の稼ぎもがっつり家計費とか家計用貯蓄なんだけどな。
もう嫌になってきた。

815: 名無しさん@HOME 2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN
叩かれるの覚悟で書き込みます。
コトメの上の子が難しい病気で都会の大学病院長期入院になった。
そのため下の子を預かって欲しいと頼まれた。今までコトメとは決していい関係じゃない。
病気のトメの介護について嫌味を言われたり、私の親にまで私の文句を言われたりした。
でもトメが亡くなりウトだけになった後義実家で同居している私しか頼める人がいないと
頭を下げられた。コトメ夫の実家はすでに兄夫婦と同居して共働きの兄夫婦の子供三人
面倒見ているから無理なんだそうだ。
コトメの上の子が難しい病気で都会の大学病院長期入院になった。
そのため下の子を預かって欲しいと頼まれた。今までコトメとは決していい関係じゃない。
病気のトメの介護について嫌味を言われたり、私の親にまで私の文句を言われたりした。
でもトメが亡くなりウトだけになった後義実家で同居している私しか頼める人がいないと
頭を下げられた。コトメ夫の実家はすでに兄夫婦と同居して共働きの兄夫婦の子供三人
面倒見ているから無理なんだそうだ。
いろいろ考えたがコトメに私は子供がいないので(小梨についても嫌味をかなり言われた。)
育て方がわからないから、私のやり方に一切後から文句を言わない約束を私の夫とウトと
コトメ夫立ち合いで書面にして下さいと言って書いてもらって預かった。
可愛くないかもと思ったが、意外と可愛い。どうもコトメは見た目もよく賢い上の子をひいきに
していたようで、下の子は否定の言葉しか言われたことがなかったようだ。
しかもかなり叩かれていた。遠巻きにしていた子供が、食事を作ってやり風呂にいれてやり
新しい服を買ってやり、幼稚園に入れて手作りの通園グッズを作ってやり
毎日送り迎えをしてやって、絵本を読んでやり寝かしつけていたら、笑顔が出るようになり
「かーちゃん、かーちゃん」とまとわりついてくれるようになったらものすごくかわいい。
かーちゃんは私の名前がか○○という名前でウトがかーちゃんと呼んでいるから。
育て方がわからないから、私のやり方に一切後から文句を言わない約束を私の夫とウトと
コトメ夫立ち合いで書面にして下さいと言って書いてもらって預かった。
可愛くないかもと思ったが、意外と可愛い。どうもコトメは見た目もよく賢い上の子をひいきに
していたようで、下の子は否定の言葉しか言われたことがなかったようだ。
しかもかなり叩かれていた。遠巻きにしていた子供が、食事を作ってやり風呂にいれてやり
新しい服を買ってやり、幼稚園に入れて手作りの通園グッズを作ってやり
毎日送り迎えをしてやって、絵本を読んでやり寝かしつけていたら、笑顔が出るようになり
「かーちゃん、かーちゃん」とまとわりついてくれるようになったらものすごくかわいい。
かーちゃんは私の名前がか○○という名前でウトがかーちゃんと呼んでいるから。

876: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)16:17:31 ID:mxj
人でなしだと思われるかもしれない長文愚痴です。
スレ違いだったらすみません。
付き合っていた彼のお母さんが末期癌になった。
それからの彼の落ち込みっぷりに振り回された。
もう世界の不幸を一身に背負ってる俺状態で、
その割にご両親の力になるようなことはあまりしない。
お姉さんとも仲が悪いらしく連携を取らない。
結局、病気のお父さんによる老老介護に。
私は長らく祖母の介護をしていたので、
気をつけなければいけないことはいくつか分かる。
アドバイスを求められたのでそれらを言うと、
「お前はわかってない、踏み込むな…!」
って、何も押し付けてないし踏み込んでもないのに。
会うたびに愚痴、暗い話、お前の親もやがて●ぬとか。
ちょっとでもよくなるといいね、と言えば
「良くなることなんかもうないんだよ…!
いい加減なこと言うのやめてくれないか!?」
もー毎日これの繰り返しでヘトヘト。でも
ストレスのはけ口になる位しかしてあげられることもないし
我慢していた。
1年後、お母さんは亡くなった。
その時も、私がお悔やみの言葉を言っただけで、涙目で
「それ以上は聞かないでくれ、な、頼む!!
俺はまだ辛いんだよ、乗り越えられないんだ、
なあ、それ以上聞かないでくれ頼む!!」大声で繰り返す。
私、何も聞いてないんですけど…。
すぐ後に、お父さんが倒れた。
これがあるから老老介護は怖いのに、私も周りも
散々言ったのに、お父さんのケアをしなかったらしい。
そしてお父さんも亡くなった。
本当にお気の毒だと思うし言葉もないよ。けど、
「そっとしておいてくれ頼む」で、一切を放棄。
私は彼と仕事繋がりもあったし、それ以外にも
事務連絡的なことがあったけど全部スルーされた。
気持ちは分かるけど…仕方ないことなのかもしれないけど。
スレ違いだったらすみません。
付き合っていた彼のお母さんが末期癌になった。
それからの彼の落ち込みっぷりに振り回された。
もう世界の不幸を一身に背負ってる俺状態で、
その割にご両親の力になるようなことはあまりしない。
お姉さんとも仲が悪いらしく連携を取らない。
結局、病気のお父さんによる老老介護に。
私は長らく祖母の介護をしていたので、
気をつけなければいけないことはいくつか分かる。
アドバイスを求められたのでそれらを言うと、
「お前はわかってない、踏み込むな…!」
って、何も押し付けてないし踏み込んでもないのに。
会うたびに愚痴、暗い話、お前の親もやがて●ぬとか。
ちょっとでもよくなるといいね、と言えば
「良くなることなんかもうないんだよ…!
いい加減なこと言うのやめてくれないか!?」
もー毎日これの繰り返しでヘトヘト。でも
ストレスのはけ口になる位しかしてあげられることもないし
我慢していた。
1年後、お母さんは亡くなった。
その時も、私がお悔やみの言葉を言っただけで、涙目で
「それ以上は聞かないでくれ、な、頼む!!
俺はまだ辛いんだよ、乗り越えられないんだ、
なあ、それ以上聞かないでくれ頼む!!」大声で繰り返す。
私、何も聞いてないんですけど…。
すぐ後に、お父さんが倒れた。
これがあるから老老介護は怖いのに、私も周りも
散々言ったのに、お父さんのケアをしなかったらしい。
そしてお父さんも亡くなった。
本当にお気の毒だと思うし言葉もないよ。けど、
「そっとしておいてくれ頼む」で、一切を放棄。
私は彼と仕事繋がりもあったし、それ以外にも
事務連絡的なことがあったけど全部スルーされた。
気持ちは分かるけど…仕方ないことなのかもしれないけど。

905: 名無しさん@HOME 2015/07/01(水) 21:29:57.25 0
娘が寝ている間に発作おこして意識不明になった事。
いつも通り学校から帰ってきて、いつもの通りに過ごして
おやすみー!と寝たと思ったら、夜中の2時に娘と寝てた旦那が
(下の子がまだ小さく細切れ睡眠だったので、寝室別にしてた)
隣の部屋から叫んで私の事を呼んでいたので
こんな夜中にうるさいなぁとノソノソ行ったら
娘が変な方向見ながら硬直してた。
一気に目が覚めて、呼び掛けても無反応
むしろ過呼吸気味になってきてる
焦って泣きながら救急車呼んで、病院に着いて
発作はおさまったけど意識が戻らなくて
戻るまで生きた心地がしなかった。
検査の結果は突発性てんかんで、夫も私も
身内にてんかんになった人が居ないのでビックリした。
夫に、よく寝てたのに気付いたねと聞いたら
寝てたら布団の周りをグルグル周る黒い影?に
うなされて起きたら娘が変になってたそうで
そっちにもビックリした。
いつも通り学校から帰ってきて、いつもの通りに過ごして
おやすみー!と寝たと思ったら、夜中の2時に娘と寝てた旦那が
(下の子がまだ小さく細切れ睡眠だったので、寝室別にしてた)
隣の部屋から叫んで私の事を呼んでいたので
こんな夜中にうるさいなぁとノソノソ行ったら
娘が変な方向見ながら硬直してた。
一気に目が覚めて、呼び掛けても無反応
むしろ過呼吸気味になってきてる
焦って泣きながら救急車呼んで、病院に着いて
発作はおさまったけど意識が戻らなくて
戻るまで生きた心地がしなかった。
検査の結果は突発性てんかんで、夫も私も
身内にてんかんになった人が居ないのでビックリした。
夫に、よく寝てたのに気付いたねと聞いたら
寝てたら布団の周りをグルグル周る黒い影?に
うなされて起きたら娘が変になってたそうで
そっちにもビックリした。

572: 名無しの心子知らず 2016/02/21(日) 22:59:07.84 ID:Xa2ngRqZ
長いと言われたのでわけて記載します。
ずっといいなと思っていた人に冷めた話。
自分語りだめと1に書いてありますが、
状況の説明に必要な自分語りだけ許してください。
社会人になって数年たち、アラサーになった頃、
突然、原因不明の難病を発症しました。
日本での患者数がとても少なく、
運良くとてもいい先生に出会って、病名をつけてもらい
治療を開始することができたものの、
1年以上入院、闘病生活が必要でした。
有給と傷病休暇を使い果たす寸前でなんとか社会復帰を果たしたものの、
症状をおさえているだけで、治ったわけではありませんでした。
どうしても納得できなくて、
自分で病気の勉強をしたいと考えるようになりました。
それからは、ひたすら給料をためると同時に、
平日の残業がない夜と週末は予備校のサテライト講座に通いました。
友達の結婚式で彼と出会ったのはそんな頃でした。
(便宜上「彼」としますが、付き合っていたわけではないです)
ずっといいなと思っていた人に冷めた話。
自分語りだめと1に書いてありますが、
状況の説明に必要な自分語りだけ許してください。
社会人になって数年たち、アラサーになった頃、
突然、原因不明の難病を発症しました。
日本での患者数がとても少なく、
運良くとてもいい先生に出会って、病名をつけてもらい
治療を開始することができたものの、
1年以上入院、闘病生活が必要でした。
有給と傷病休暇を使い果たす寸前でなんとか社会復帰を果たしたものの、
症状をおさえているだけで、治ったわけではありませんでした。
どうしても納得できなくて、
自分で病気の勉強をしたいと考えるようになりました。
それからは、ひたすら給料をためると同時に、
平日の残業がない夜と週末は予備校のサテライト講座に通いました。
友達の結婚式で彼と出会ったのはそんな頃でした。
(便宜上「彼」としますが、付き合っていたわけではないです)
